No19:TK氏関連メール

 前メールに関連して若干のご意見を頂きました。今後の議論展開を進めていく上で
参考にすべき点も多いと考え掲載させて頂くことにしました。尚、TK氏以外は実名を
頂いておりますが、今回はすべて匿名で掲載しております。

K氏より
 引き続き門外漢ながら、興味深く読んでます。18号TK氏との論争は面白かったの
で、一言感想を述べたいと思います。

1 歴史とは概論、または通説を書いた時点で、書いた人の社会的立場が鮮明に現
れているものと思います。又、同じ人が書いても、30年後、50年後は全く違う見方とな
るものです。(まして、人が異なれば、内容は大幅に異なります。)我々が経験した戦
前、戦後の歴史書は典型的見本です。これは日本だけの現象ではなく、世界中どこ
の国でも、同じ事が言えます。解釈が鮮明に現れる現代史は、無い国が沢山ありま
す。
2 これは典型的な社会科学で、自然科学と相容れない部分が多く、これを自然科
学の如く、「真実は一つ」と考えるから、論争が起きるものです。「真実は多数」存在
し、論争をするのは、政治、経済でよくある「一種の権力闘争」で、権力闘争に生き残
った者が勝利者(通説を書く人)となるが、これも又ある日、突然覆される運命にある
ものです。
3 TK氏が現在の古代史論を代表しているものと思いますが(考え方、方法論な
ど)、ある日何等かの要因(例えば、貴君の言われる炭素同位体など)過去の資料が
コペルニクス的変化をすることもあり得る。(例えば、植物中の水ー木材の水分ー
は、その生成年代で分子定数が微妙に変わり、これを時代測定にする研究などもあ
ります。)
4 話題は飛びますが、現在国立の研究機関は、日本政府の緊縮財政政策により
(国立大学も同じ)多分数年を経ずして、規模が半分位に縮小する方向にあり、各構
成員(所謂先生)の多くが失職する運命にあります。私立とて同じ事で、文部省の補
助金が年々減少し、破産した大学も出てきました。
5 急に変なことを言い出したのは、学問の世界で、所謂「大先生」の威光が急激に
かげりが出始めたことです。かって「白い巨塔」に代表される「大先生」の威力は、も
はや国立大学、系統研究所にはありません。先生の権力源である、部下の地位を誰
も約束できなくなっているからです。これから学問の世界も目に見えて変化すると思
います。教え子が、先生の説をどんどん反駁し始めてます。
6 歴史学もこの一環です。特に古代史は資料が少なく、いわば想像の世界です。
SFの舞台になり易い時代です。18号みたいな論争が度々出ることを期待します。
 
I氏より
 いつも、メルマガ「科学の目で見えてきた日本の古代」をたいへん楽しく拝見させて
いただいております。とてもわかりやすく、また説得力がある記述に感心しています。
 さて、先々週に送られてきたメルマガの「T.K.さんのメール」について、以下に私の感
想を述べたいと思います。率直に感じたことは、高柴さんのおっしゃるとおり、「T.K.さ
んは、まず自分の考えを示した上で意見を展開されるべきだ」と思います。

 T.K.さんのメールの内容は、
『どうしてもヒミコの墓にしたいようですね』
『何の根拠もない非科学的な駄文に過ぎない』
『古田説を墨守したいがゆえの発想にすぎず、まさに「科学的な」根拠に欠けます』
『福岡平野をどうしてもヒミコのいた場所にしたいのなら』
『須玖岡本D地点王墓を3世紀とすることはきれいさっぱり捨てた上で、・・・』など、
どれも学問的な思考や意見の主張ではなく、誹謗・中傷の類であり、発展性がないよ
うに思います。 
 こうした内容は、基本的にまじめに議論しようとするものではありません。人の意見
を間違って解釈したり、人の意見を丁寧に読まなかったり、若しくは何の根拠もなく"
決めつけ"を行うのを得意とする人の文章ですので、本来ならば相手にしないのが最
も賢いやり方だとは思いますが、こういう類の人には、自分が誹謗・中傷をしているこ
とを十分に認識し、その行為を恥じ、悔い改めるようにするため、徹底的に論破する
必要があると思います。 
高柴さんには、ぜひ古代史の解明のために、がんばっていただきたいと思います。
 
O氏より
 今回の掲載はすこし驚きでした。
ご指摘のとおりT・K氏の話は、気にしなくてもいいと思います。どうも我々のような素
人ではなく、何がしかの研究をなさっているようですが、私は考古学は時間軸の解明
だと思っています。筆者ご指摘のとおり、日本では票にならない、金にならない物に
資金は出ません。古代史は私にとってロマンです。それはタイムマシーンでもない限
り、正解の無い事柄でしょうが、少しでも確証が欲しくて、筆者の意見としてこのメル
マガを楽しませてもらっている。それは筆者の意見を参考に自分の意見をまとめる
役割をする物で、影響される物ではないはずです。
 どうもT・K氏は自分の結論があっての批評のようですが、それなら筆者の言うよう
に、あなたの意見が是非聞きたいし大いに興味があります。データーの羅列ならコン
ピューターが正確です。
 人間は過程を飛ばして、いきなり結論をはじき出す事が出来るのです。直感やひら
めきですが、後の検証で多くの発明が成されていることをどう思いますか?何の知識
も無しにそのようなひらめきは起こりません。トロイを発見したのもそのひらめきと確
信だったではないですか、想像力を楽しみましょう。筆者のメルマガには想像力を楽
しませてくれる物があります。此れからも楽しみにしておりますので、お互いに憧れの
卑弥呼を見つけましょう。

TK氏からもメールを頂きました。
 こんにちは。再々度匿名で申し訳ないですがT.K.生です。
 最新のメールマガジン読みました。
編年と年代の問題ですが、日本考古学ほどよく資料が揃い、分析されているところは
ありません。世界に通用しています。マスコミなどで無理解に報道されていましたが、
十分通用しているのが真相です。
 相対年代としての土器編年網も、世界の考古学でも本来的に基本であり(モンテリ
ウス、ペトリ−以来)、何か誤解されていると思います。むしろ逆に編年網が詳細であ
るからこそ、AMSなどの科学年代と絡めて詳細な話(論争も含めて)が出来るのです
が。
 暦年代については変動があり得るというのはむしろある程度折込み済みの話なの
ですが。弥生時代について大問題になっているのは、歴史解釈が絡むからです。し
かし、編年網それ自体(前後関係と併行関係)は、AMSでも追認されています。これ
は測定資料を増やしても同様であろうと推測されます(資料数がかなり増えて来た現
在も変わらない)。
 型式編年を信用しないと言いながら、それらに基づく遺跡の年代や評価は受け入
れているのは理解し難いのですが、それらには触れられませんでしたね。
 また「相変わらず従来通りの発掘」などと言われますが、どのようなことを言ってい
るのでしょうか?どういう調査をすれば良いのでしょうか?何か誤解に基づき決めつ
けられていませんか。また昨今は社会を反映し、埋蔵文化財行政の予算も厳しくなっ
ているようですので、なんでもかんでも分析を出すというのはいかがなものでしょう
か?出せれば良いかもしれませんが、型式時期が判明する場合、年代はおよそ推
定できるものですので、なんでも出すのも予算の無駄と一方では言われかねないと
いうこともあります。また単純に炭化物も資料的に混入や汚染の問題があり、何でも
出すと言うのはどうでしょうか?(歴博の場合はそのあたりを吟味して資料を選んで
測定しているが、それでもまだ問題があるとも言われている。)
 正直な話、なるほど予算と時間の余裕があれば(1点1万円程度と簡単に言います
が、それが大問題なのですよ)、分析数を増やすべきところでしょうが(別にC14に限
らず、他の科学分析を含めて)、実際は、今も多くある緊急発掘調査とその資料の最
低限の整理調査と報告が優先されているのが実状です。そう意味では、予算が限ら
れているなら、C14に1点出すなら、たとえば作業員1日を雇って調査をしっかりやり
たいといったところだと思います。
 そういった状況を全く理解されないまま、「都合の良いところだけは取り入れようと
いう姑息な体質が垣間見える」とされ、思い込みで人を決め付けているよう見えてし
まうのは非常に残念です。
 前期旧石器捏造問題についてはなるほど、非常に残念なことに御指摘のところが
あるのも事実です。しかしC14については、すでに縄文土器の起源問題についての
論争がかつてあり、それを経験していますので、現在の弥生時代年代論争状況につ
いてあまりに偏って見られすぎているのではと思います。またC14のAMSだから必ず
正しいということも言えないと思うのですが(C14自体、その較正年代が更新してお
り、また資料のコンテクストからその年代が土器の年代とイコールであるかはまた別
の議論があるのですが)。また歴博以外もやっていますので、この点は調べれば分
かりますが完全な誤解ですよ。
 最後に須玖岡本遺跡は古墳初頭(3世紀後半)には衰退すると思います。弥生時
代終末も詳細な点は分かりかねますが、その後半期にはどれほどあるのか疑問が
残ります。この点はどうされますか?もっとも、考古学的編年と年代をひっくり返すな
ら議論が噛み合わないですが。そう意味で、そうされるなら「考古学的年代について
確かな証拠を揃えて論陣を張って下さい」と申し上げたのですが、ご理解いただけな
いのは残念です。
 須玖岡本D地点について、中国鏡の年代などからする従来の考古学的手法(交差
年代法)でも、最新のAMSでも、中期後半=立岩式の年代は紀元前1世紀後半のは
ずですが、これを覆されるのなら、それなりの論拠が必要だと思いますよ。キホウ鏡
を留保されるなら、結局のところは、他には根拠が無いと思います。そのあたりも理
解できません。「あやふやな根拠で強弁」しているわけではないみたいですから、どう
いう根拠なのでしょうか?一方では、須玖岡本や比恵などの状況については、考古
学上の編年に基づく紹介をされてきたはずですが、これは「都合のよいところだけ取
り入れる」ことにはならないのでしょうか?そのあたり、全く整理されていないので、
「どうしてもヒミコの場所にしたい」のではと勘ぐってしまったのですが。これはバック
ナンバーを読んでも全く理解できません。

 古田氏の説については、考古学資料の取り上げ方など、まさに「都合のいいものだ
け」取り上げるやりかたと思います(『ここに古代王朝ありき』など)。また文献史的解
釈の問題についてはすでに論じ尽されていますが、安本美典氏の体系的な批判があ
り(『古代九州王朝はなかった』など)、この問題については古田氏を支持できません
(安本氏自身の対案の妥当性は別として)。もっとも、これについては認められず、安
本氏への反論もあるもの(?)と推察いたしますが。
 おそらくこのメールも取り上げられ(取り上げるなと言っても取り上げるでしょうし)、
逐一<反論>(?)されるのでしょうが、どうも噛み合わないようですので、以後はメ
ールをいたしません。き鳳鏡の問題については、批判的指摘に理解を示されたの
で、話がもう少し噛み合う方かと思いましたが、今回のメルマガのように「思い込み」
とか「謙虚さに欠ける」とか「業とされる方の体質」などと決めつけられてはたまりませ
ん。むしろそのような取り上げられ方をすることにより、誰も意見を言って来なくなると
は思われないのでしょうか?
 メルマガを配信して、読者からの意見を募っているのでしょう?それが反論や否定
的意見でも「謙虚に」受け止められたらいいのではないのでしょうか?否定的意見も
一つの意見であり、それを「自分の意見を述べずに」と決めつけられるのもいかがで
しょうか。いずれにしても、それをこのように、一方的に非難して取り上げられるのは
きわめて遺憾であります。またネット上での意見のやり取りでは、ふつう匿名は認め
られていると思いますが(それが極端な方向にならない限り)、それについても非難さ
れるのであれば、こちらも議論する気が失せます。(最後の発行者へのメールの項
に、匿名希望についても触れられているのですが、どうしたものでしょうか。)
 今回は最後に意見を送らせて頂きますが、今後はおそらくメールをいたしませんの
でご理解下さい。 T.K.

メールを受けての整理
 皆様からご意見をお寄せ頂き、いろいろな受け取り方があること、また、様々な視
点でこのマガジンをお読み頂いていることを改めて実感しました。皆様のご期待に応
える意味でも、ありのままの古代の姿の解明に向けて建設的な議論は大いにやって
行きたいと考えております。そのためにも良い機会ですので、ここで議論に際しての
土俵ということについて考えてみたいと思います。

 まず議論に際しては真摯に古代史の解明に向けて取り組むという姿勢が求められ
ると思います。事実に対して謙虚に目を開き耳を傾け、その語るところに従うというこ
とではないかと思います。古代に関して現在得られる資料等は極めて限られている
ため、仮説を組み立てることが有効である場合も少なくないと思います。仮説には検
証作業が必要で、検証の結果、仮説が満足されないことが分かった時には、行きが
かりに捉われず思い切って仮説を捨てる勇気も求められると思っております。言い方
を変えれば、検証されていない説は、たとえそれがどんなに幅広く定説として敷衍さ
れていても一つの仮説に過ぎないのではないかと思っております。

 一方で他者の意見等を批判するに際しても、それまでに判明している事実等に照
らして納得できるかどうか、という点から行われることが必要であると考えておりま
す。日本人が陥りやすい性癖として、当初は謙虚な態度であっても、議論が進むに
従ってお互い感情的になり、主張よりも押し付けになり、更には中身の議論よりも相
手の個人攻撃を行ったり、甚だしい場合は誹謗中傷に走ったりということが行われが
ちであるといわれます。売り言葉に買い言葉と、言うようなことになれば論争と言うよ
りは泥試合に近くなってくると思います。

 このような対応が繰り返されますと嫌気が差して、攻撃的になったり、逆に自分の
世界に留まろうということになり勝ちで、結果として夫々が自分の世界(小さな土俵)
に閉じこもる蛸壺現象も珍しくないと言われます。そのようなことになればお互いにと
りましても、古代史の解明という目的にとりましても不幸であると言わざるを得ないと
思います。少なくとも当マガジンにおきましてはそのような議論は避けたいと考えてお
ります。今までご意見をお寄せ頂いた方、また、今後ご意見をお寄せ頂く場合には以
上の点にもご留意を頂ければと思います。

 次に具体的な議論の進め方について考えてみたいと思います。
 議論は一次的には事実の捉え方について行われるべきだと考えております。Aとい
う国があったのか無かったのか、あったとすればどこにあったのか、また、いつ頃の
時代に存在したのか、というような点であります。事実に関しての結論は一つのはず
であると考えております。事実に関して必要に応じてやり取りを行った結果、お互い
に(事実に関しては)共通認識に立った上で、次の段階として、事実から導かれる解
釈についての議論に進むのではないかと考えております。王権は正当に継承された
のか、祭祀は王権にどのような影響を与えていたのか、周辺国とはどのような関係で
あったのか、というような点であります。この段階での議論は結論が複数あり得ると
思います。立場等によって結論が変わることもあり得るかもしれません。

 一つ確認しておきたい事は、事実確認と解釈の関係が逆であってはならないという
ことです。ある種の解釈に基づいて事実を見るというようなことがあれば、それは都
合の悪い事実は見ないということに繋がって行く可能性を含みますし、都合が悪いデ
ータが出そうな方法は排除すると言うことになりかねないと思っております。

 論議に際しては、事実確認にせよ解釈にせよ、その根拠を明確にして行われるべ
き事は言うまでも無いと思います。上記の意味ではK氏が言われる「社会科学におい
ては真実は多数存在する」ということは事実をめぐっては成り立たず、解釈に関して
はその通りであると言えるのではないかと考えております。従って、いわゆる邪馬台
国に関して申し上げれば、その場所に関しての結論は(少なくとも中心地に関しては)
一つしかあり得ないのではないかと考えております。

 さて、前回TK氏のメールを敢えて全文掲載しましたのは、議論となり得る問題の指
摘と、議論のやり方としては避けるべきと思われることが入り混じったものであり、折
角の問題提起が生きないと考えたからでもありました。今回頂いた反応の中にも感
情的な反発が表に出ているものがあり問題提起のやり方の難しさと言った面が改め
て感じられたように思います。前回の配信分を今読み返して見ますと私の感情は極
力抑えたつもりでありましたが多少引きずられた部分もあったかもしれません。今後
とも出来る限り冷静に議論を進めて行きたいと思っておりますので、お気づきの点等
ありましたら遠慮なくご指摘のほどお願いいたします。

 今回のTK氏からのメールにつきましては、初めからこのようなトーンであれば議論
はもう少し違った形で進んでいたかもしれません。まことに惜しまれることだと思って
おります。それはそれとして、多くの点についてご指摘を頂きました。スペースの関係
上、事実関係につきましては今後とも必要に応じて触れることになると思いますので
一旦横において、探求のあり方といった点につきまして私の考えを述べておきたいと
思います。

 TK氏は、日本考古学の年代感について「日本考古学ほどよく資料が揃い、分析さ
れているところはありません。世界に通用しています。」また、「相対年代としての土
器編年網も、世界の考古学でも本来的に基本である」と言われます。資料が揃って
いることや土器編年が本質的に基本であることについては私も異論はありません。

 私が問題としているのは、土器編年自体もさることながら、日本の考古学の年代
感、即ち時間軸に対しての土器編年の活用の仕方についてであります。日本では世
界の多くの国で採用されている方法が採られてきませんでした。多くの国では、編年
という手法だけでは絶対年代の判定に問題が多いとして放射性炭素を含めた科学
的な手法を併用し、科学的手法に裏付けられた編年を活用するという段階に進んで
いる状況の中で、日本を含むごく少数の国においては、絶対年代の判定にも編年だ
けで十分対応可能であるとして科学的手法から目を背けてきたのが実態ではなかっ
たかと思っております。少なくとも歴博の発表以前にはこの問題に対する積極的な取
組は皆無に近かったのではないでしょうか。

 言い方を変えれば、ほかの国々ではとっくに二重チェック体制に変わっているの
に、日本では相変わらず名人芸的な単独チェックのままである、と申し上げても良い
かもしれません。このことは裏返せば、日本では土器編年が進んでいたため、それ
に過度の信頼を置いて世界の大勢に遅れたと言えるのかもしれません。

 TK氏は、(日本の土器編年による年代感は)世界に通用しています、と言われます
が、約600年程度と言われていた弥生時代が一朝にして倍近くの長さに伸びるという
状況に際しても、なお世界に通用する時間軸であると言われるのでしょうか。TK氏は
「暦年代については変動があり得るというのはむしろある程度折込み済みの話」とも
言われます。物差しが倍近くも異なるということが、ある程度折込み済みということな
のでしょうか。

 また、折込み済みということであれば、土器編年だけでは問題がある(かもしれな
い)と認識されていたことになると思います。とすれば、言われるところの「変動」を無
くすのは難しいにしても、「変動」の幅をどの程度と捉え、どのようにして「変動」の影
響を少なくしようとされてきたのでしょうか。仮に抽象的に、土器編年の精度を向上さ
せる、というようなことであったとすれば、実際上何もやってこなかったと申し上げざる
を得ないと思います。問題がある(かもしれない)という認識であったとすれば、その
ような認識がありながら「日本では土器編年で十分である」という大きな声に黙って従
っていたという意味で、不作為の作為があったと申し上げるべきかもしれません。私
が問題と考えていますのは、まさにそのような学会内部の空気であります。

 私が世界に通用する時間軸の確立を願っている今一つの理由は、現在の考古学
編年の分かり難さであります。先ず名前の分かり難さが挙げられると思います。通常
は最初に発見された場所の名前などから板付式などという名前がつけられます。こ
れが研究の進展にしたがってT式・U式あるいは古式・新式というように分けられた
り、場合によっては他で有力な出土物などがあれば名前が変更されたり(その場合
は旧XX式のように書いて区別されることが多いと思います)する場合もあり、また、
いくつかの形式を包括して別の呼び方をするとか、研究者(グループ)によって呼び
方が異なるというようなこともあります。さらには同じ形式の中でも細かな差を捉えて
細分類され夫々が違った名前が付けられることもあり、私などは文献などを読んでい
ても記載してある形式がどれのことを意味しているのか分かりにくいと感じたことが何
度もあります。

 しかも名前自体にはその命名の経緯からも判断されますように時間との関係が全
く無いため、どの形式の次にどの形式が続くのかということは名前からだけでは判断
できません。一般の方が理解するためには聞きなれない名前を機械的に覚えるより
無いのです。その点旧石器→新石器→青銅器→鉄器と言った区分の分かり易さと
は比較になりません。このような分かりにくい呼び方が本当に世界に通用しているの
か私には疑問であります。

 また、大きな時代区分につきましても、例えば弥生時代について、大きく前期・中
期・後期の3つに時代区分し、各区分を概ね200年とするなどとされていますが、その
分け方もさることながら、研究の進展に伴い細分されて前期前葉・前期中葉などと言
う区分が作られ、また、当初の区分よりも古い時代のものが見つかり早期、草創期
などという新しい時代区分が付け加わることもあります。また、後期より後の時代の
ものが見つかり晩期・終末期などと言う時代区分も作られることがあります。そうなる
と例えば縄文晩期や終末期と弥生草創期ではどのような時間関係になるのか、人に
よって言い方が違っていたりするので一般には非常に分かりづらいことになると思い
ます。

 歴博の発表以降、弥生時代の中での分け方も研究者や機関によって異なってお
り、例えば同じ中期中葉と言われても指している時代には微妙な差があるのが実態
のように感じております。専門家の間では分かっているのだから一般の人は分から
なくても仕方が無い、と言うのでしたら何をか言わんやですが、少なくとも各名称の定
義やその意味するところを明確にし、論文の記述に際しては統一した用語を使うとい
うことは行われても良いように思っております。

 現在は様々な分野で、説明責任と言うことが言われます。私は考古学におきまして
も、少なくとも専門的に研究することを任されている方々は、一般の人が企画展など
に際してガラスケース越しにしか見ることが出来ないようなものでも、しかるべき手続
きを行えば手にとって見ることが出来るなど、一定の研究上の地位や権限が与えら
れており、また、研究には概ね公的な資金が使われていると言う意味から、説明責
任は果たされるべきであると考えております。が、編年問題一つを取り上げましても
上記のように分かり難く、単に言葉で、世界に通用しています、と言われるだけでは
説明責任が果たされているとは言えないと考えております。

 「弥生時代について大問題になっているのは、歴史解釈が絡むからです」とのご意
見は理解し難いものと言わざるを得ないでしょう。つまり、上で述べました事実の確
認と解釈が混ざり合った展開になっているからです。弥生時代という時間軸の捉え方
にも問題があると考えておりますが(土器が発見された場所と時間軸とは本質的に
無関係)、ここでは慣例に従うとして、弥生時代の始まりを水田耕作の開始時期と捉
えるのであれば、それが絶対年代でいつになるのか、と言うことは事実の確認の問
題であり本質的に解釈が絡む話ではあり得ません。解釈が絡むから問題になる、と
いう捉え方は事実に基づいて解釈を行うのではなく、それとは逆に出来上がった解
釈に基づいて事実を見る、という捉え方が図らずも示されたように思われないでもあ
りません。

 また、「編年網それ自体(前後関係と併行関係)は、AMSでも追認されています。」と
言われます。編年の分かり難さについては上で述べたとおりですが、それらの区分
が絶対年代とどのように結びつくのか、ということは伴出(一緒に出土すること)した
鏡など時代がある程度判明しているものから推定できるとされております。しかしな
がら、伴出する鏡などは作られてから埋納されるまでに時間の幅があると見られる
上、(ある程度)時代が分かるものが土器に伴出するのはレアケースに属することを
考えると、数少ない伴出例を以て全ての同形式の出土物に適用できるのかと言う疑
問は払拭されません。また、北部九州の板付U式土器と近畿の庄内式土器は併行
(ほぼ同じ時代に属する)関係にあるなどと言われます。これも直接そのような関係
が分かるわけではなく他のものを間に介在させてのことですから、どこまで言えるの
かという疑問も消せないでおります。

 現在のところ従来の編年と矛盾するようなデータの公表はありませんが、これは今
まで測定された範囲では、明らかに従来見解と矛盾するデータは出ていない、という
以上のものではないと考えております。各形式について、お焦げや煤などの痕跡が
明瞭な出土物ばかりが集まり、それらについてきっちりと測定に成功すると言う状況
であれば「追認」に近い状況であると言えるかもしれませんが、現実にはサンプルの
集まり方にはバラツキがあり、資料数が少ないか、あっても資料の状態が今ひとつで
あるため、測定できていない形式もあるように聞いております。また、既存概念を変
えるような新しい発見は、往々にして例外的なものの中から見つかる、ということを考
えた場合、「明らかに従来見解と矛盾するデータは無く、例外もない」ということになら
ない限り「追認」とは言えないのではないかと考えております。

 そういう意味で放射性炭素測定が可能な資料等全てについて測定が行われること
が望ましいと考えております。TK氏は費用の点を問題とされます。世界の主要な国
が放射性炭素法などの科学的データが無い限り年代判定は正式なものと認めない、
或いはそのことを法制化しているという状況の中で、一人日本が費用が無いから出
来ないと言って通用するものでしょうか。仮に今後は可能な限り炭素測定等を行うと
した場合でも(そのこと自体、簡単に実現するとは考えていませんが)、今までの重要
と思われる出土物について測定を行うことは相当の費用が必要になると思われま
す。これは今まで怠ってきた付けが回ってきたと考えればやむを得ないものであると
思います。予算化も必要になると思います。その場合世論の支援といったものも必
要になるかもしれません。そのような状況になるようであれば、及ばずながら当マガ
ジンにおきましても何らかの働きが必要になる場面もあるかもしれない、とも考えて
おります。

 また、私としては、甕棺のように通常では有機物の付着などが見られない土器につ
いて、ほかの土器からの類推で絶対年代の検証を行なったと言えるのか、という疑
問を解消できずにおります。甕棺の中に人骨などがあった場合には、それを測定す
ることで検証が可能と思われます。これについては、一部の大学で人骨の年代測定
が進められていると聞いておりますが、まだ纏まった形での発表は行われていないよ
うです。自然体で正確な測定が行われる事を願いますと共に、出来るだけ早い時期
における結果の公表が待たれるところであります。

 日本の古代史を考える上でもう一つ重要なことは、他分野との学術的交流をどの
ように進めるかという問題であると考えております。ご承知のように歴史の解明という
ことを考える場合、文献や出土物それ自体だけではなく、それらをどのように読み解
くか、また、他の分野で得られた知見をどのように有効的に活用していくか、というこ
とは極めて重要であると思われます。生物学や人類学といった分野は言うまでも無
く、言語学、物理学、鉱物学、天文学、病理学、更には天変地異や気候変動、風俗・
習慣、民俗伝承、地名の変遷、等々あらゆる分野の知見を総合的に活用して解明を
進めていくということが求められると思います。そのためには古代史に関連した学会
の方から積極的に他の分野に働きかけて(門戸を開放し)、有益な知見等を集める
ことも必要と思われますが、皆無とは言わないまでも、文献主体の分野(所謂文献史
学)と物主体の分野(所謂考古学)との間でさえ微妙な垣根がある中で、積極的に他
の分野と学術的交流が行われているとは感じられません。

 さらには、研究に対する国民の負託に応えるということも研究に携わる方の使命で
あるという考えを持って頂けるのであれば、従来の土器編年による絶対年代の判定
に重大な疑義が生じている昨今、従来の方法でよい、或は、世界に通用している、と
言葉で言うだけではなく積極的に他のより客観的と思われる方法も取り入れ、その
結果やはり正しかった(或は修正が必要となった)とされることが研究に対する透明
性を高めると共に国民の負託に応える道ではないのかと考えております。

 考古学に携わっておられる方が、土器編年だけではなく編年を科学的手法等によ
って検証することの重要性に本当に気づかれたとしたら発掘のやり方も変わってくる
ものと思われます。絶対年代を総合的に判定するためには、出土する土器や金属器
だけではなく、それらが埋まっていた土そのものの中に情報が含まれている可能性
があります。有機物があれば放射性炭素法が適用できるかもしれませんし、微細な
プラントオパールのようなものが見つかれば、派生して色々分かることがあるかもし
れません。また、出土した状況の記録は、克明な写真など後日の検証に堪えうるも
ので無ければならないでしょう。仄聞しますところ、現在発掘等が行われた資料はそ
れらの点について必ずしも十分ではないようです。

 「型式編年を信用しないと言いながら、それらに基づく遺跡の年代や評価は受け入
れているのは理解し難い」というご指摘もありました。これは現時点ではそれに代わ
るデータが見当たりませんので、参考にしているという以上のものではありません。
一抹の不安を感じながらデータを利用しているというのが偽らざるところです。科学
的測定により、より正確なデータが得られた場合には修正することもあり得ると考え
ております。1日も早くそのような日が来ることを望んでおります。

 須玖岡本遺跡が古墳初頭(3世紀後半)には衰退する、と言う点につきましては当
マガジンでも後に触れることになると思いますので、ここでは一旦横に置くことと致し
ます。

 古田氏のことについても触れておられますが、1号マガジンでご説明していますよう
に、当マガジンは「古田武彦氏によって掘り起こされた古代史の新しい局面をベース
として、その後、多くの古代史研究者によって得られた成果も踏まえながら、私なりに
分かり易く噛み砕いて話を進めているもの」でありまして、古田説の解説を行ってい
るものではありません。従いまして古田氏への批判につきましてはお答えする立場に
ないことを申し上げておきたいと思います。

 また、安本美典氏のことを引き合いに出されました。安本氏は、九州にあった邪馬
台国が東遷した、という説を出されたことで名が知られております。安本説の根幹を
なす「数理文献学」とは、氏が主宰する「邪馬台国の会」のサイトによれば、安本氏の
独自な考案による、文献中に現れる特定の語の頻度を数えたり、種々の文体特徴を
統計的、数理的に分析し、それによって、文献の伝えている情報内容を、客観的に
探求する学問であるとし、安本氏は、数理文献学と言う独自の手法に基づき、コンピ
ューターを駆使して科学的、客観的に解き明かす、とされております。しかしながら、
その実態は古代史をレトリックで説明しておられるように感じられます。氏の歴史解
釈については、検証不足な部分が多いため、話としては面白かもしれませんが、歴
史実態とは乖離が大きく、同じ俎上で論じるのは難しいのではないかとも感じており
ます。具体的には、松中祐二氏が「九州古代史の会ニュース」No117〜No122におい
て詳細に検証しておられますのでご参照いただければと思います。

 念のためその主なポイントを挙げておきます。
1.固有名詞を統計的手法で推定する事は、出現頻度の高い名前等に落ち着きやす
く、希少な名前等を排除することに繋がりかねないため適当ではない。
2.天岩戸神話を日食とし、AD247年3月24日とAD248年9月5日に続けて起こった2回
の日食を、それが卑弥呼晩年の時代に重なるため、卑弥呼=天照大神とする最大
の根拠とされているが、両方の日食共に部分日食であり、その上、AD247年の日食
は夕方であり終了時点では夕闇と区別がつかなかったと推定される。また、AD248年
の日食は早朝であり太陽は欠けた状態で昇り程なく終了しているため、曇りの日程
度の明るさで昇りまもなく通常に復したと推定できる。いずれの場合も皆既日食のよ
うな劇的な暗闇やダイヤモンドリングは見られていないと考えられる。安本氏が引用
された文献にはそのことが明確に記されているが、安本氏の引用に際しては肝心な
部分が欠落している。従って、卑弥呼=天照大神とする説は、この2回の日食を根
拠としては成立しない。
3.「数理文献学」を用いて古代天皇の平均在位年数を10年と推定されているが、論
理が不正確である上、採用されたデータも恣意的と思われ、検証の結果、安本氏の
推定は成立しない。
・古代は平均寿命が短かったから平均在位年数も短い、と言う仮説は成立しない。
・政治権力者の在位年数は短いと言う仮説も成立しない。
・世界の王の平均在位年数は10年と割り出されているが、その根拠となるデータの
採り方に普遍性が無い。
・天皇の父子継承記事が信用できないということを、安本氏の指摘では証明できな
い。

 最後に匿名の扱いについて触れたいと思います。
 TK氏が言われるように、一般的にNetの世界では匿名でやり取りが行われておりま
す。同時に匿名ゆえの無責任さと言ったものも横行しているように思います。当マガ
ジンは古代史探求に真剣に取り組むことを目的としておりますので、単なる噂話程度
のものとは区別したいと考えております。従って、少なくとも私宛のメールに関しまし
ては実名でお願いしたいと考えております。只、それを掲載する場合に実名は避けて
ほしいと思われる方が居られることも理解できますので、その場合は匿名で掲載す
ることもある、という整理にしたいと思います。ご理解を頂ければ有難いと思います。



第19号 TK氏関連メール




































































































































































































































































































































































































































































































































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